大谷翔平選手と言えば、今や大リーグにおいて世界のスーパースターだ。
当初ドラフト会議を迎えるにあたって、彼は「アメリカに渡り大リーグを目指したい」との希望を持っていた。
そのため、各球団は、「ドラフト会議で大谷を指名しても入団の可能性は全くない」と判断。
大谷翔平を指名する球団はないであろうと予想されていた。
しかし、栗山監督率いる日本ハムファイターズが、大谷翔平を強行指名したのだ。
指名の瞬間、ドラフト会場では驚きの声があがった。
まさかの指名で、日本ハムファイターズが単独指名となったのだ。
過去にもドラフト会議では色々なドラマがあった。
史上最多8球団から指名された野茂選手、そして小池選手。
小池選手はロッテからのドラフト1位指名を拒否し、社会人野球へと進んだ。
のちに近鉄バッファローズに入団することになる。
しかし、プロ野球選手としては、成功したと言える結果には至らなかった。
慶応大学投手でドラフト1位指名が確実視されており、巨人等、複数球団からの指名は間違いなしと言われていた志村選手は、「自分はプロでは通用しない」との意思から、プロ志願はせず、超大手不動産会社に入社し、現在は役員となっている。
プロ野球の世界は、仮にドラフト1位指名を受け入団しても、成功する確率は極めて低い。
元ロッテの里崎さん(ロッテでは正捕手)が、YouTubeで言っていたが、全チームで過去30年間の統計データを分析すると、1つのドラフトで10年後主力選手(怪我以外で二軍に行くことのない主力選手)になっている確率は1割だという。
1つのドラフトで、1チームあたり約1人しか成功していないとのこと。
それほど、厳しい世界なのだ。
仮に、大谷選手が、日本ハムからの指名を拒否して、花巻東高校からアメリカに渡っていたら、2Aあたりから下積みのベースボール生活が始まる。
これは、かなり過酷なロードを歩むことを意味している。
2Aでは、指導者も一流ではない。
しかも二刀流を通すことができたかもかなり疑問だ。
結果、栗山監督率いる日本ハムへの入団の道を選んだのは、正しい判断と言える。
当時でもかなり高レベルになっていた日本球界で、身体を作り、数々の技術をマスター、その後で、大リーグに挑戦するほうが圧倒的に成功する確率は高いからだ。
野茂選手は鈴木啓二監督との確執があった。トルネード投法を鈴木監督は評価していなかった。
また、イチロー選手は土井正三監督との確執があった。これまた振り子打法を土井監督は評価していなかったと言われている。
面白いことに、その後、野茂選手もイチロー選手も仰木監督との出会いが転機となり大リーグに挑戦し大成功を収めた。
そう思うと、大谷選手は早い段階で栗山監督と出会えたことは、かなりな幸運だ。
二刀流での育成方針に、多くのOBたちが栗山監督を非難した。
「コーチ経験も全くないまま監督になった奴に何が分かるんだ」「二刀流なんかできるわけがない」・・等々。
しかし、栗山監督と大谷選手は雑音を気にせず「夢」を現実にするための指導・トレーニングを愚直に続けていった。
そう思うと、人生、運命の人との出会いが大きな転機になるものだ。
大リ-グで大活躍する大谷翔平選手を評して「漫画の世界だ」と言う人がいるが、ロサンゼルスでは、「漫画の世界以上、誰もが想像、イメージできない世界だ」と言う人も多い。
栗山英樹さんが、著書「栗山ノート」の中で、剣豪宮本武蔵が自分自身の生き方を記した「独行道」の中に収めた「我事において後悔せず」という言葉を紹介している。
なぜうまくいかなかったのかを考えて次に生かす。
失敗を後悔するのではなく教訓ととらえ、次は成功しようという考えかたを凝縮した言葉といえよう。
後年、イチロー選手は、土井監督との確執について記者から問われたとき、「土井さんには色々指導して頂き感謝している」と言っていた。
過去の出来事は変えられないという人がいるが、私は、きれいごとではなく、過去は変えられると思う。
過去、あのような出来事があったからこそ、自分の課題、自分の人としての弱さ、自分の想いに対峙することができ、今の自分がある。
振り返ってみると「あの経験があったから、今の自分がある」と思えることって多いのではないか。
過去の出来事は、悪い思い出から、ありがたい思い出に変えられるのだ。
人との出会い、そして過去からの総決算が、今の自分自身の姿と言えよう。
婚活においても、今まで色々あったかもしれない。
しかし、前向きなチャレンジをためらうことなく、新たな一歩を踏み出せば、唯一無二のひと、との出会いは必ずある。
焦らず、自分自身を信じて歩んでいこう。
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