新人スタッフFです。今年もジメジメで蒸し暑い夏でしたが、やっと秋の気配が感じられる季節になってきました。秋になるとふと思い出すことがあります。今回はそのお話しをしたいと思います。題目は「自分は自分であって自分でない」。
それは10月の中旬で、秋らしさを感じることができる夕方の出来事だった。
私は出張帰りの電車の中、進行方向の先頭の車両に乗り座席に腰かけていた。特急がとある駅(特急が止まらない駅)を過ぎようとした時、「ドン、ガチャ―ン」というもの凄い衝突音が鳴り響いたのだ。
私は、咄嗟に俗に言う「人身事故」と言われるものだろうと察した。
それから電車は警笛音を鳴らしたまま、社内放送があり、一時間ほどであろうか停車していた。
社内では、窓越しに外を見ようと群がる男子高校生もいたが、ほとんどの人は凍り付いたような表情で立ちすくんでいた。
後日、地元の人に聞いたところでは、女子大学生が自ら命を絶ったという。
人は言う、「死ぬ気ならなんでもできるだろうに」・・・とか。
私自身もとても親しい人の中で、「あんな明るくて人生に張り合いを持っていた人がまさか・・・」ということがあった。
冷静で正常な判断ができる人はなんとでも言えよう。
けれども、人は意外にもろい一面もある、紙一重、いつ自分の心がそうなるかすら分からないものだ。
私は、親しい人を残念にも失った時、強く思ったこがある。
「自分は自分であって自分でない」って・・・
もっと踏み込んで言うと、「自分の身体というものは自分のものであって自分だけのものではない」ということだ。
今、総裁選を戦っている高市早苗先生がよくお話しされる言葉がある。
『あの花が咲く丘で、君とまた会えたら』(映画)の「私たちが生きている今、それは誰かが命がけで守ろうとした未来だった」という言葉だ。
私はこの言葉が大好きで、聞くたびに心の中がジーンとして我にもどる。
『あの花が咲く丘で、君とまた会えたら』を観たことがないみなさんに簡単にあらすじを
父親はなく、母親とふたり暮らしの女子高生百合。ある日、母親と喧嘩をして家を飛び出す。ふと目覚めると1945年の戦時下の日本にタイムスリップしたしていた。混乱する百合だったが、偶然通りかかった彰に助けられ食堂に住み込んで働く。百合はやがて青年を愛するようになる。そして、ついに出撃の日がやってきた。青年は飛び立つ寸前に特攻機の中から百合に笑顔を向けユリの花を投げる。やがて、時はたち、気づけば元の生活にもどっている。ある日、高校の社会科見学で特攻平和会館を訪れた百合は、青年の写真と、自分にあてた手紙がケースの中に飾られているのを見つける。百合は泣き崩れた。百合は家に帰り母親に話す。自分は教師になりたいと。それは青年彰が、いつか自分の夢として語っていたことだった。そして、彼らが、命がけで守ってくれたこの未来を懸命に生きていこうと決心する。
私たち一人ひとりの身体は、自分ひとりのものではなく、父と母から頂いた大切なもの、もっと言えば、たくさんの先祖のみなさまが命がけで紡ぎ、未来の自分に残してくれた大切ものなのだ。
だからこそ、自分という存在を大切にしなくてはいけない。
誰もがみな、誰かが命がけで守ってくれた未来を生きる大切な存在なのだ。
だからこそ、人と人の「ご縁」は大切にしなくてはいけない。
悲しい時もあろう、辛い時もあろう、消えたくなってしまう時もあろう、もう自分はダメだと思う時もあろう・・・
でも、そこで、我に返り、自分という存在を命がけで守ってくれた人々の存在・想いを受け止め「自分は大切な存在」であることをもう一度思い出して欲しい。
自分が纏うメッキなど剥がれてしまっていいのだ。そんなものはたいしたものではない。
今いる自分そのものが、かけがえのない大切な存在であることに間違いはないのだから。


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