新人スタッフFです。最近、芸能界でも有名俳優と女優によるスキャンダルが話題になり、女優は来期の大河ドラマの降板が決まった。芸能の世界でも、スポーツの世界でも男女のスキャンダルは絶えない。だが、そのスキャンダルも結局はスクープされ、破綻といケースが大半を占める。どこまでの想いでお互いが惹かれ合っていたのかさえ疑問が残る。そんなわけで、今回は「20世紀最大のスキャンダル!」についてお話しします。

みなさんは、アメリカ人のウォリス・シンプソン(アメリカ人)という女性をご存じだろうか?

イギリス国王エドワード8世と「王冠をかけた恋」に落ちた女性として一躍有名になった人だ。

ウォリス・シンプソンとエドワード8世は結婚を望むが、彼女に離婚歴があったこと、ふたりが交際を始めた時はまだ人妻であったこと(不倫してたんかい!!驚)から、周囲の人々や国民の大多数が結婚に反対したのだ。

エドワード8世は、国王の座を取るか、ウォリス・シンプソンとの結婚を取るかの選択に迫られることになる。

結果、エドワード8世は、ウォリス・シンプソンとの結婚を選び、国王を退位してしまったのだ。

「これ2人あまりにスペックちがうやろ~、エドワード本当にいいんかい!?」、と思わず思ってしまた私だが、、、、

そんな単純バカが考える次元の話しではないのだ、、、

エドワード8世にとって、ウォリス・シンプソンは本当の自分を認めてくれる掛け替えのない女性だったのだ。

エドワード8世は、国王になる以前から王位継承権第1位で、だれもが将来の国王として接してきた。

けれども、ウォリス・シンプソンは、冠や肩書きなど身にまとっているものではく、エドワード8世の人となりを愛したのだ。

そして、そこから紡ぎ出されたほめ言葉が彼の心を射止めた。

エドワード8世は、はじめて一人の人間として認められたと感じたのだろう。

婚活市場では市場価値やらスペックなどという言葉でくくられがちである。

それは、学歴・身長・年収・仕事・ビジュアル等という条件面で人を評価するのが分かりやすいからだ。

ウォリス・シンプソンとエドワード8世のように、一般的に分かりやすい条件面から相手の価値を評価するのではなく、人としての本質を見極めて、それを認め、掛け替えのない存在に昇華させていく愛こそ本物と言えよう。

一人の人間として相手を見る。

本来の愛の本質はそこにあるだろう。

「言うは易し、行うは難し」なので、人は一番わかりやすくて手っ取り早く評価できるお相手の学歴・身長・年収・仕事・ビジュアル等の条件で見極めがちである。

けれども、ことの本質は、「一人の人間として相手を見て認める」ことであり、この大切さだけは忘れてはいけない。

相手が身にまとうものだけに囚われすぎると、それに目がくらみ、何が好きなのかわからなくなってしまう。

人生山あり谷ありだ。

何かの間違いでお相手が身にまとうものがなくなってしまったら、中身には何の関心もないというのでは悲しい結末しか残らない。

お相手の方が身にまとうものを取り除いた場合に、それでも自分は一緒にいたい何かがあるか一度冷静に考えてみるとよい。

究極的なことを言うと、お相手の方が、市場価値やスペックとは関係ない、大切な意味を持つ存在であるかどうかだ。

もっと言っちゃうと、既製品ではなく、あなただけの(唯一無二の)オーダーメイドになっているかが重要なのではないか。

周りでも離婚しない夫婦は、こんな関係であるケースが多い。

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