新人スタッフFです。「西郷隆盛没後150年を前に音源見つかる」との放送がありました (MBCニューズナウ 2025年12月4日放送)。西郷隆盛と言えば、明治維新の功労者だけれども写真が一枚も残ってないことで有名です。よく見かけるのは親戚の人と親戚の人の合成写真のようなものです。だからこそ、どんな顔していたのか、どんな人だったのか興味がわきます。上野の西郷さん銅像の落成式において妻イトさんが、「この人はどなたですか?」と銅像を見て言ったという話を聞いたことがあり、ますますミステリアスな人物です。そんなわけで、今回は「西郷隆盛と妻イトの人柄」の題目でお話しします。
西郷さんと言えば、眼がくりくりで、大柄な人物を想像します。実際にもそうだったようです。人情に厚く不平士族の話しも聞くところがあり、最終的に西南戦争を起こして自害します。
今回、MBCニューズナウで放送されたのは、西郷さんの孫にあたる西郷吉之助さん(佐藤栄作内閣で法務大臣を務めた)の肉声証言が出てきたというもの。
吉之助さんは、幼少期、西郷さんの奥様であったイトさん(西郷隆盛の妻:吉之助さんからすると祖母)と住んでいて、イトさんから直接聞いていた西郷さんの話しを語るテープが発見されたのです。
吉之助さんがお兄さんと喧嘩をして、家の中をばたばた走り回り、やがて離れにいたイトさんの所に逃げていくと、「お前たちは小さい体のくせに家の中をばたばた音を立てて走るがそういうことをしてはいかん。おじいさん(西郷さん)はね、相撲取りのような大きな体だったけれども、武士のたしなみとしてね、家ん中を歩く時、音をたてなかった人だ。部屋の中では静かに歩くもの」と言われたそうです。
また、イトさんは、子供が多かったことから家計のやりくりには色々苦労している様子だったようですが、西郷さんについては色々な話しをてくれたものの、自分が苦労したという話は一切しなかったそうです。
西郷さんは、参議・陸軍大将になっても鹿児島の書生(勉学中の若者)たちが遊びにきて帰る時は、玄関に自分で両手をついておじぎをしたそうです。
吉之助さんが、イトさんからこの話を聞いた時、「自分自ら模範を示したのだ」「お前たちは、どんなに偉い地位についてもかように丁重にお辞儀をすべきもんだよ、ということを書生に身をもって教えたんだよ」と言われたそうです。
私も祖母から「実るほど頭(こうべ)を垂れる稲穂かな」という言葉を教えてもらい、同じような解説を受けたことがあります。
そういえば、高市早苗総理大臣も90度でのお辞儀をしていますね。
「言うは易し行うは難し」と言いいますが、実際に実践できている人は本当に立派で頭がさかります。
西郷さんは、「幕末の三舟」の一人、山岡鉄舟を評して以下のように言ったと言われています。
「命もいらず、名もいらず、官位も金もいらぬ人は、仕抹に困るもの也。此の仕抹に困る人ならでは、艱難を共にして国家の大業は成し得られねなり」
常に自らの行動を律し、清廉潔白であった西郷さんの人となりが伺えます。
「敬天愛人」(天を敬い、人を愛す)
西郷さんが生涯大切にしていた言葉ですね。
最後は、勝ち目がないと分かりながらも、不平士族に寄り添い西南戦争を引き起こした西郷さんですが、今でも鹿児島の人々だけではなく日本中で愛されており色々な教訓を教えてくれます。
日本人に生まれて良かった~~


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