新人スタッフFです。YouTubeでどなたかがアップしている昭和の初めに起こった津山事件(横溝正史の八つ墓村のモデルになった事件)を見ていたら、その犯人が度々、同じ地域の色々な家に夜這いにいっていたとある。「え?昭和のはじめって、今よりかなり発展的、そんのありなん???それまずいやろ??」とひどく疑問に思い究明したくなりました。そこで、今回は「『夜這い』って本当にあったん?」の題目でお話しします。
『夜這い』は民族学・歴史学でも存在したとされています。
柳田国男など民族学者の記録や、明治~大正期の調査資料に、東北・北陸・九州の農村を中心として「夜這い」に相当する習慣が記録されています。
ただし現在のイメージとは違う点
「女性の家に勝手に忍び込む」という乱暴なイメージが広まっていますが、実際は地域ごとに性質が違い、むしろ以下のような村として合意の仕組みがある場合が多かったようです。
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(1)お互いが合意で行われる恋愛の場
・若者同士が夜に会うための場
・家が狭い農村でプライバシーがなく、「夜にこっそり会う」ことで恋愛を成立させていた。
・男女双方の合意が前提
(2)“若者宿”や“寺子屋”の延長のような制度だった地域も
・若者集団(若者衆)があり、その中で男女交際の場として機能
・村ぐるみで管理しており、勝手な乱暴行為は禁じられていた
(3)結婚の前提段階としての「通い婚」や「嫁入り前の自由恋愛」
・平安時代~江戸期の一部地域では「通い婚」(男性が女性の家に通う形)が一般的
・その延長として夜に訪ねる習俗が続いた地域もある。
とはいえ、すべてが理想的ではなかった
・時代が下がると混乱期や貧困地域では、女性の側に負担や危険が大きいケースもあった。
・明治以降は国家の「良き家族像」政策で厳しく禁止・否定されるようになる。
整理するといかにまとめられます。
・村が管理
・合意がある男女の交際
・結婚の前段階として自然なプロセス
・男性側に厳しい規律があった
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津山事件(横溝正史の八つ墓村モデルになった事件)が巷で紹介される中で、度々「夜這い」という言葉が出て来るが、これ実は公式記録にはないそうです。本件に関してYouTubeなどで語られている内容の多くは、伝聞・噂・後年の脚色に近く、信頼できる史料には記載されていません。
では、なぜ「夜這いをしていた」という噂が広がったのか?
理由は3つ
①松本清張の描写が非常に強烈だった
・松本清張は「昭和史発掘」の中で、村の閉鎖性や陰湿な人間関係を強調しました。
ただし、清張自身が明言しているように、「記録は参考にはしたが、取材できない部分は推測・創作を交えている」という点があります。この推測部分が、後に都市伝説のように「事実」と結びついてしまいました。
②横溝正史『八つ墓村』がさらにフィクションで強調
・横溝正史作品は完全なフィクションで、事件をモチーフにしてるが事実ではない部分が大半です。作品に描かれている内容が現実の事件と混同されがちである。
③昔の農村には「夜這い文化」が一部存在したので結び付けやすかった
・日本の一部地域では夜這い・通い婚・若者宿などが存在しました。「農村=夜這い」といったイメージが昭和後期に強まり、津山事件にも、“あったはずだ”と誤解されやすい状況にあったようです。しかし、岡山県作東群の村に、明確な夜這い習慣があったという民族学的記録は確認されていません。また、この事件の犯人は「夜這いしていた」という記録は実際にはありません。
以上のように、長い時間の経過とともに、事実とは違う内容が流布していることって意外に多いものなんだなぁと思いました。
歴史上の人物(偉人)についても、司馬遼太郎作品が実像とは違った人物像を作り出してしまったというのは歴史学者の間でもよく言われていることですよね。
昭和初期やそれ以前の時代は、今のようにSNSでの出会いはなかったので、村の若い衆が早く結婚できて所帯を持てるように伝統的な習慣があったのでしょう。まさか、婚活パーティーを主催する村の長などもいなかったでしょうから。縁談で結婚するケースが多かったようです。
男女は明るく爽やかに、健全にお付き合いしましょう!


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